港の側の蛭子神社に 曾爺さんの名前があります。
住福丸ってぇのは 船の名前で
蒲刈町誌では 昭和初期 竹を積んでたって書いてるけど
母親の話では 石灰を積んでたって聞いてた。
社の修理か何かで 寄付したから
名前が残ってるんでしょうねぇ。
僕が生まれる頃には もう いなかったけど
母親や姉の話だと 頑固なやさいい爺さんだったって。
話すと かなり複雑な事情だから長くなるので省略するけど
この爺さんがいなかったら
僕は 呉市内で育ってたかもしれないと・・・・。
僕が蒲刈で生まれるルーツになったじいさん
そんな爺さんの写真 我が家にあるんですよ~。
誰だったか忘れたけど
10数年前 家にあったって
わざわざ持ってきてくだだったって・・・・。
若い頃の 軍服を来たセピア色の色あせた写真。
姉達は 懐かしそうに眺めてたけど
僕は ぜんぜん知らないわけで・・・・。
でも 厳格そうな姿は
我が家の 伝説っぽい雰囲気を醸し出しています。