蒲刈、

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今ごろ?ですが
今日は 我が故郷【蒲刈】の名前の由来を~!

とわ言っても 諸説あるんで ホントのところはどうだか・・・。

1、
昔 神武天皇が船団を率いて近くを通ってた時
強風で船の舵が折れ この島に流れ着いた。
山に登って四方を眺めようとしたが 蒲が生い茂って歩けない。
ならば、ってんで
蒲を刈ったんで「蒲刈」と呼ぶようになった。

2、
昔、神功皇后新羅に行かれたおり、体調を崩され
体を休めるため上陸、
生い茂ってた蒲を刈って ベットの代わりに敷き詰めた。

3、
昔、神功皇后新羅に行かれたおり、島に停泊された。
その時、愛用の櫛を落とされ おい茂る蒲を刈って探した。
っで、この地を「蒲刈」落とされた場所を「櫛山(今の串山)」と呼ぶ。

言い伝えでは こんな感じです。

他にも 古史によりますと
蒲刈誌(文化六年<一八〇九>)には
蒲刈島っていうのは 玉藻刈島なんだろう。
略して『藻刈島』ってはずのものを いつのまにか誤って
『藻』を『蒲』と書き違えたんだと思う」って・・・・。
漢字の間違いって・・・。

芸藩通志には
本来の意味は『竃所(かまがり』なんだろう・・・と。
万葉集に『所』をガリと読んでるから。
『竃のあるところ』すなわち『竃所』って・・・。

まあ
この二説は かん水を竃で煮詰めて作る 藻塩につながりますねぇ?

ってぇ事で、
僕 個人は 子供の頃から聞いている3番を押したい。

なにせ 我が家の南側にある小高い山が『串山』なんで・・・。