いろは丸、

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僕が鞆の浦に行ったのは 海底に沈んでる[いろは丸]を再現してるって聞いたから。
ただ、当時はネット環境は無く 調べようが無いんで
行き当たりばったりになったわけです。

結果、何も見つからず 普通に鞆を観光して帰ったんですねぇ。
でも
正月に よく聞く名曲[春の海]のモデルになった鞆の浦
それはそれで良かったと・・・・。

さてさて いろは丸って何?って方に~。
あの 坂本龍馬が 運輸・商業・開拓を目指して結成した海援隊
土佐藩が15日間500両で大洲藩から借りて乗り込んだのがいろは丸(168t)。

初航海で意気揚揚と 長崎から瀬戸内海を東へ向かってた鞆の浦
紀州藩の明光丸(887t)と衝突して沈没してしまいました。

鞆に龍馬が滞在したのは こんな事があたからなんですね。

問題なのは その後、
相手は 徳川御三家紀州藩 普通じゃぁ 泣き寝入りですよ。

そこがそれ 龍馬の事、状況をマトめ万国公法をもって対応。
紀州藩の重大な落ち度と事故後の対応の不備を主張した結果
紀州藩が負けて 紀州藩が83000両を支払うことで一件落着。

一躍 海援隊を有名にしたのが この[いろは丸事件]ですよ。

ってぇ事で、
今日は 幕末の話になりましたね・・・・。
まぁ たまには いいかぁ・・・。